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松山市

経石山古墳

一字一石

重信川に流れ込む石手川の左岸、洪積台地上に位置する前方後円墳で、前方部上に小さな祠があり、後円部には「経石山」の名が付けられる元となる一字一石と刻んだ碑があります。 墳丘規模は、墳長56m、後円径29m、高さ5m、くびれ部幅、前方部長26m、12.3m前方部幅20m、高さ3mを測り、前方部を西に向けます。また、後円部は、わずかに窪みが見られるが、埋葬施設は未調査のため不明。  出土遺物は、須恵器が出土。築造年代は、5世紀末~6世紀中頃と推定される。

鎌大師古墳

鎌大師境内に開口

下池の北側、鎌大師堂(風早四国第六十九番札所)の境内に、横穴式石室が大きく開口しています。奥壁側には、石仏が安置されている。他詳細は不明。

難波奥谷古墳

県内最大級の横穴開口

立岩川の北側、庄集会所の北東丘陵麓に位置する古墳で、県内最大級の横穴開口しています。  墳丘規模は、径15m~20mほどの円墳で、横穴式石室を主体部とします。石室は、南向きに開口する花崗岩を用いた両袖式の横穴石室で、全長12m、玄室長6m、幅2.1m、高さ2.5m、羨道長6m、幅1.3m、高さ1.8mを測ります。  出土遺物は不明ですが、石室の形状などから6世紀~7世紀代の築造と推定される。

善応寺古墳

大正池の東側に位置

河野川の右岸、大正池の東側丘陵上に位置する古墳で、現在は河野神社が祀られている。  両袖の横穴石室で、玄室長4.8m、幅2.2m、高さ2.8m(現存長2.8m、幅1m、高さ1.9m)を測り、南西に開口します。出土遺物は、人骨、銅鏡、刀剣、玉類、過紋土器が出土と伝わるが、散逸して残っていないのが現状です。

国津比古命神社古墳

櫛玉比売命神社古墳

立岩川左岸、北条市内を見渡す丘陵上に2基の古墳が隣接し、北側に位置するのが国津比古命神社古墳、南側に位置するのが櫛玉比売命神社古墳となります。  国津比古命神社古墳は、全長50mほどの前方後円墳で、墳丘の大部分が神社の境内となっていて、墳丘の一部と葺石が確認されています。  櫛玉比売命神社古墳は、全長75mほどの前方後円墳で、竪穴式石室が主体部と考えられている。社殿建設の際に勾玉が出土している。この他、埴輪も採取され、葺石も認められる。  築造年代は、両古墳ともに古墳時代前期と推定される。
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北谷古墳

石室埋め戻し

松山市福角町の若宮神社背後の丘陵上に残る古墳で、横穴式石室が露出していました。現在は、石室保護のため、埋め戻して石室を見学することは出来ません。  墳丘規模は、復元推定径20m、高さ5mを測ります。横穴式石室は残存長8.1mとされるが、復元推定9.6m 玄室部長4.5m、幅2m、高さ2.4mを測ります。築造年代は、6世紀後半~7世紀初頭と推定される。
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